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 南米の大国ブラジルには、世界最多の日系人が暮らす。その数、約270万人。最初の移民船「笠戸丸」が1908年に到着して以来116年間、日系人は政治や経済、医療、農業など多分野で活躍してきた。ルラ大統領は今年4月末、日本メディアとのインタビューでこう述べた。

 「私たちは、ブラジルを今の姿に築き上げた日本人(日系人)の貢献に感謝しています」

 だが第2次世界大戦の前後で、日系社会が激しい迫害を受けたことは、あまり知られていない。ある人は無実の罪で投獄され、ある人は住んでいた地から追い出され……。何が起きたのか、関係者の証言から振り返る。

劣悪な監獄、押し込められた日本人

 高速ボートで約10分。7月中旬、サンパウロ州東部アンシエッタ島を訪れた。約830ヘクタールの島はほとんどが森林だが、夏は海水浴客が多く押し寄せる観光地でもある。

 島のボート降り場の正面に、平屋建ての大きな建物が見える。1908~55年、凶悪犯や政治犯が収監された旧アンシエッタ監獄だ。本土の最寄りの町までは、直線距離で約6キロ。囚人が泳いで脱出しても途中でサメが出るため、米サンフランシスコの島にあった監獄の名前を取って「ブラジルのアルカトラズ」とも呼ばれる。

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ブラジル・サンパウロ州東部にある旧アンシエッタ監獄の空撮写真。監獄資料館の展示物から

 敷地内に入ると、大きな中庭を囲むようにして朽ち果てた建物の数々が目に入る。ボロボロのれんがに、消えた天井。壁はひび割れしている。

 奥原マリオさん(49)が、ある建物内の15メートル四方の部屋を指した。一時期、日本人60人が押し込められていたという。「環境はかなり劣悪だった。ここに来る度に、彼らがいかに大変な思いをしたか、考えずにはいられない」

 アンシエッタ監獄には、ブラジルに移住した日本人170人超が収監されていました。しかし、そのほとんどは無実の罪だったといいます。記事後半では、日本人がなぜ収監されるに至ったかを書いています。背景にあるのは、戦後に起きた「勝ち負け抗争」でした。

 映画監督の奥原さんは監獄を…

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